ギリシャは世界に先駆けてデフォルトするらしいが、デフォルトとは何もしない事で、そんなことを本気で望んでいるギリシャ人ではあるまい。
仮に、賢者であるギリシャのデフォルトから我々が学ばなければならないのは、
一つは、世界はいずれどの国家であっても財政破たんが起きる可能性が秘めているのと、
もう一つは、ギリシャと同じ事をしていてはいけないと言う反面教師だ。
最初の一つは大いなるギリシャに続けとばかりに世界がデフォルトに言い訳を見出すが、
もう一つは、現在の社会体制に行き詰りを感じ、「このままではいけない」と変革を求めるやり方だ。
どちらにしてもギリシャには社会的責任が生じる訳だが、どちらを選ぶかによって面子が保たれる。
一つ目の前者は、エゴ的で男性的な小さな社会と言えるが、もう一つの後者は、EU統合、世界理念の大きな社会だ。
前者は、古い社会体制に愛着を感じて手放すのを恐れるが、後者は、更に進化を継続させようとする革新論者だ。
どちらも優れたギリシャ人が行う事には違いないが、前者は怠け者で、後者は世界の模範的存在だ。
大いなるギリシャを示すのであれば、小手先のつまらない解決策よりも、世界を揺るがす人類根源の問題の解決が何よりも重要だ。
小さな国家に於いては、例えば自給自足のような社会では男性社会が望ましいが、より大きな国家に至っては女性社会が望ましと考えられる。
なぜなら、「グレートマザーの存在、母権制」が欠けているからだ。
EU統合や世界統一には「グレートマザー、母権制」が必要不可欠だからである。
別の言い方をすれば、男性社会は小さな社会が向いているのだと言える。
EUのような大きな社会や世界統一には男性社会体制では不可能なのだ。
小さな国家の方程式では繁栄と破壊を繰り返すのが小さな社会での秩序のように、
世界統一、世界基準の大きな社会では男女の共同参画、共存共栄論が「グレートマザー、母権制」となる。
ギリシャにしろ、EUにしろ、世界にしろ、「統一」という次のステージに上がるには男性社会では限界が見えているのはギリシャ人が一番よく理解しているにも拘らずに現状維持に満足を見出す。
実際、国境を超えられないものとは、「平和」に「お金」、そして「男性」だ。
「女性」は国境を難なく超えられる。
そうすると、今度のギリシャ問題は社会変革の良い機会であると考えられる。
なぜかと言えば、ギリシャが変われば世界が変わるからである。
ギリシャ人は賢く、ギリシャ女性は強いのだから、世界に先駆けて「グレートマザー、母権制」の存在を示してもらいたい。
世界の誇りである国家発祥の地に於いて男性社会の行き詰まりは、更なる進歩を意味している訳で、
人類の歴史はギリシャ人の手によって託されているのです。