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大阪以外ではほとんど、情報がない大阪ダブル選挙ですが、

在日にとっては重要な選挙だ。

なぜなら、大阪が在日に落とされるかどうかが掛かっている選挙だからだ。

ほとんどの日本人が無関心なところに、日本人が中二病であることの証がある。


私的には、一度、大阪が在日に乗っ取られた方が良いと考えます。

早くこの世が乱世になればいい、のです。

そうすれば、出来そこないの日本人が退いて、優れた日本人が登場するからです。

時代の変革期には、一度壊して創り直すヒトラー論です。

ヒトラーと言えば、在日を祖国に送り返し、責任は全て自らが取るドイツの英雄ですが、

安倍総理のどこがヒトラーなのでしょうか。 ヒトラーを知らないのでしょうか。

いずれ、日本版ヒトラーが登場して、日本から在日問題を片っ端から解決し、全て自らが責任を受けて自決する大人物が現れるだろうが、その為にも大阪を一度在日に犯されることも必然かもしれません。

呑気な日本人の処方箋は、在日に犯されていることに気付くことですから。

優しくて気が小さく、頭が良くて言い訳が上手い中二病にとって最強の敵が表面化することが最大の自己啓発である。

大阪ダブル選挙で自民党が勝利したところで、何も変わらないし、お得意の先延ばし作戦です。

老人国家だから変革は無理にしても、しっかりとした問題定義だけは国民に見せつけなければ、政治家として失格者ですからね。

社会問題を暴露し、問題解決者を求めることが政治家の目の付け所ですから。

 つづく。


 2015_11_18


細部において個を別々に判断する人こそ、最もしばしば真実を言い当てる人である。

日本に構造改革の神風を吹かせるには、まず現在の日本国内の置かれている状況を明確に解りやすく大きく二つに分類する必要がある。

一つは、純粋な日本人による日本国家と、もう一つは、反日達による在日国家である。

前者は、嘘を付かないことを常識としているが、後者は、嘘を付くことがライフワークだ。

どちらも同じ日本国に暮らす人達だから、国家が強い責任を持って対処しなければ国家の一大事となってしまうが、前者は調和的で協力的だが、後者は無責任で破壊的ある。

元々我が国において日本は単一民族国家として日本の繁栄に一致団結して来た国民性であったが、

いつしか現在に至っては日本人50対、在日50の民族国家に分れてしまっている。

これは日本国だけの話ではなく、華人が強い国や州はどこもそうみたいである。だが華僑のせいではない。本国に問題がある。誰でも安心する生活を望むことは人間の権利である。

そう考えると、この現実を理解すれば日本の再生や各国の問題定義や構造改革はそう難しくはない。

なぜなら、問題が解決されないのは問題定義が明確化されておらず、後者である在日達に加担しているのが原因であるからだ。

そしてその対策は意外にシンプルイズベスト、嘘を表面化させて、責任を追及する、ただそれだけである。子供の教育方法と同じである。

嘘つきは一度表面化すると消えて無くなるように、「それは嘘です。責任を取りなさい」、とはっきり言えばそれだけで終了する。

時間は何時でも事実を暴露し、時は全てを覆い隠すように、暴かれない嘘は、暴かない側に責任が生じて問題が激増し、暴かれた嘘には暴かれた側に責任が生じて自滅する。

実際、現代は純粋な日本人だけが日本で暮らしている訳では決してない。

そう話すと、私は差別主義者だと言われる訳だが、男性社会であっては、男というものは、差別も戦争も無くならないのが事実である。平和な社会は女性が創る、男性では不可能であることは歴史が証明している真実だ。

むしろ差別とは男女差別であって女性たちの差別を無くすことが重要である。男女共存社会論である。

男性同士の差別を無くそうなどとは、夢物語であっておとぎ話で非現実的である。

具体的に現在の日本国を分類してみると解りやすいが、あまりにも社会問題が多すぎてその都度分類してみる方がはっきりとして楽しい。

どちらが良いとか悪いとかではなく、日本を、社会問題を一度、二つに分類してみることが問題解決が容易になる。

大体、日本人にも責任がある。今まで在日問題を先延ばしにして来たのがそれである。

バベルと塔が示す様に宥和して完全に守られると内部からの堕落へと落ち込むように、在日達にとってもいい迷惑である。

在日関係を賄賂で解決するにもすでに限界が来ているから、この解決策には国家を二分して考えることが国家100年の計である。

実際、血税を在日に当てて、愛国者には税金を上げるとは、気の小さな日本人のすることであるから、

両者は明確に分類されるまでは決して和合出来ないものなのです。











 2015_10_20


現在、世界を震撼させている難民問題を日本が解決できる方法がある。
名付けて、「ブルーオーシャン、目には目を、難民には移民を」計画だ。

我が国、日本での移民問題を考えてみると、現在の反日たちが移民に当たるように、いずれ日本国にも難民が押し寄せることは世界の常識と成りつつあるが、その前に、心の準備と知性の準備が必要だと考える。

世界が難民で苦しんでいる時に、日本はまたお金だけを出すという無責任で場当たり的な対策には日本人としての驚異が感じられない。

今後世界における究極の難民問題を我が国においてパーフェクトに解決する方法が一つだけある。

恐らく現在の民主主義ではその力量が不足していると思われるので実現可能ではないかもしれないが、知っているのと知らないとでは難民を受け入れる時の結果に対応するのが早まると思い提案し、また、実際に困っているEUなら受け入れるやもしれません。

ひょっとすると、難民問題を傍観視することが正しいと思っているかもしれないが、同時に、今ある日本国の全ての問題を一気に、最強の英知をもってその対応にあたり解決できればピンチはチャンスと変わる。

その難民の解決策はずばり、一万人の難民を受け入れて、それと同じ一万人の在日を祖国に帰す。これでWIN・WINだ。

近い将来、東アジア諸国に大問題が勃発し、日本に難民が雪崩れ込む時が来た場合、その時点で日本に暮らす移民を祖国に帰して新しい難民を受け入れる、この繰り返しによる単純明快なシンプルイズベストだ。

この明確で解りやすいシンプルイズビューティー的な対応には善と悪が同居している芸術作品のようであるが、だからこそこの方法が正しい社会論であり、合理的であり、人類みな兄弟思想論であり、正論なのである。

難民たちにとっても解りやすく、難民たちが世界に対して人道的で人為的さが共感させられる世界髄一の強靭な知性による解決策であり、衝動的に逃げ回るのに対して感情的な対応では解決には至らず再び反人道的な悲劇が繰り返される。

この難民問題解決システムはレベルの高い先進国にも理解され実行可能な究極のシステムだと考えられるし、反面、「一時しのぎだ」と難民に反論されるかもしれないが、一時しのぎでなければ難民の為にも難民を受け入れた側の為にもならない。

お互いがWIN・WINの関係を創り出すには、現状認識のブレイクスルーが必要となり、現状維持では綺麗事による双方の犠牲しか見いだせず、レベルの低い傍観者の戯言でしかない。

日本の器に変化がないのなら、人員配置の移動を人事が申し付けるのがグローバル社会での掟である。

感謝の無い移民と、助けを求める難民とではどちらが優先順位が高いかは世界の常識で判断される。

阿部内閣総理大臣は、このシステムをハッタリでもいいから全世界にチャンネルオープンすれば当然、今いる移民達が困っている難民受け入れを猛反対するだろが、今いる移民達だって元々は難民みたいなものだから難民達の気持ちが人一倍よく理解できるはずだし、難民には移民によって解決される最高のブレイクスルーであり現状突破だ。

民主党や共産党は怒り狂うだろうが、移民ではなく難民の受け入れは結果的に日本を救うことに繋がる。

重要なのは、人権問題ですが、ここにも最大多数の最大幸福論が役に立つ。祖国に帰れる理由が明確な移民と、祖国に帰りたくても帰れない難民とではどちらに人権、主権、平和的侵害がより深刻なのかは一目瞭然である。

難民受け入れ時の日本人に必要な心得は、いかなる民族であろうとも宗教が違う難民であろうとも、差別なく平等に共に幸せに暮らせられるかに日本人の真価があり、その凄さに難民たちが驚く。

言葉が通じないからとか、日本人よりも優れているからとか、日本人よりも劣っているからとかではなく、日本人の遺伝子に脈々と流れる「和」の共存共栄の精神によるものが難民を暖かく向かい入れられると考えられる。

どちらにしても、「日本人が犠牲になれ」という正義はありません。
それを言う者こそが悪者と断定される。

日本人の幸せが難民の幸せであり、難民たちの幸せが日本人の幸せでもある、それでこそ難民たちが真に救われるものなのである。

綺麗事もいいでしょう。感情論もいいでしょう。本能むき出しに反対するのもいいでしょう。ですが、全世界がビックリする難民問題の解決策こそが日本人の神髄であり、大いなる大和魂であり、神風の遺伝子なのである。

攻撃は最大の防御であるから、ここらで一発反撃をぶち込んでやりましょう。















 2015_09_22


2020年東京オリンピックの目標を失えば日本は間違いなく在日国家へと変貌する。

40代以上の現場主義を忘れたエリート達には解らないかもしれないが、30代以下の将来を担う若者達には顔が青くなる話が後、五年後だ。

2020年以降、団塊の世代が急速に力を失い、第二次ベビーブーマー達がシニアライフ、50歳以上になる。

2050年には日本人の人口が現在の半分になると言われているように、逆に、在日たちの人口は増え続け、後押しするかのように在日祖国の移民を受け入れる。2020年以降には現場の聖域を仕切るリーダー達の二人に一人は在日となる。

実際、二世、三世の在日たちは努力家であり、在日と日本人とのハーフになるとずば抜けた傑人だ。優秀な在日と怠け者の日本人とでは勝負はすでに見えている。

いじめやデフレ、日教組や労組の在日支配、政治家への賄賂、メディアの買収など全ての原因が在日にあるにも関わらずに、差別を理由に問題から目を逸らす、お人好しな日本人にとっての一番の処方箋は、一度在日にお願いして日本を乗っ取ってもらうことかもしれません。

また、私が思うに、このような在日による反日活動方法とは、男性が女性を支配するやり方によく似ている。

そう考えると慰安婦問題は日本だけの問題ではなく、在日たちの問題であり、利用した方が合理的といえる。


警告的に言えば、日本人は在日に犯されて満足している訳だが、その犯された心の傷を癒す薬は日本人同士の足の引っ張り合いによる、自分の不幸は他人の不幸によって補う方法だ。

そんなつまらないことよりも、日本人がアメリカ軍と協力して在日たちに手を貸し、祖国解放の実現を達成する方が歴史的大事業である。

解りやすく言えば、極東英雄伝説の覚醒だ。

朝鮮半島の統一は朝鮮人によってもたらされるものではなく、在日による逆輸入によっていつの時代ももたらされるものであり、小心者には最初の一歩が踏み出せないかもしれないが、過去の歴史を紐解けば、日本人との混血が英雄を生み出している事実であり、歴史がそれを証明している。

実際、祖国独自による朝鮮統一は北側が優勢かもしれないが、大切なのは統一後の平和維持活動であって、どちらが統一した方が良いのかではなく、その統一に在日共同体の存在が大きく関与することに重大な意味が残る。

客観的知識人である第三者たち、在日同盟が可能にする英雄伝説に必要なことは文化大革命にせよ、金正恩にせよ、韓国革命家にせよ、かつての英雄はみな逆輸入に始まる物語である。

いつまでも中途半端の状態で日本人に脅えながら根なし草のようにフラフラしていたのでは、有能な能力がもったいない。

現在の在日達には資金があり、在日同士の協力も得られ、混血による優れた知恵も授かり、また戦後70年による日本人とアメリカ軍との援助も得られるように、足りないのは行動だけである。チャンスが目の前に合ってやるのかやらないのか、どちらにしても将来の子供達はいずれはやるだろう。

なぜなら、方法は簡単だからだ。この日本国内ではすべに成し得ている、同じことをするだけである。

日本国内では在日中国人にせよ、在日北朝鮮人にせよ、在日韓国人にせよ、すでに在日たちのレベルの高さによる融合と調和と統一が実現し証明されているのである。

日本国において在日たちの統一は奇跡的な偉業かもしれないが、それで満足していては歴史に名を残せない。

小さな日本人と小さな在日とでは何も成し得ず、すぐに飽きるように、たった一度の代えられない在日人生ならば、その存在価値を思う存分に解発し、祖国統一の夢を実現して見るのが在日の存在理由であって使命であり宿命である。

つまらない日本人いじめでは、つまらない在日活動家として後世に受け継がれるように、より大きな目標こそが、より大きな在日たちの名誉ある歴史となる。

仮に失敗したとしても、日本に帰化すれば良いだけである。いつからか解らないが、よりどころの無い平凡な日常生活の毎日と、祖国への帰りたくない思いとだけが反日活動に精を出させる訳だが、中途半端な日本での生活が安心を手に入れられる反面、疲れることに疑問を持つのは誰であれ在日たちが一番よく知っている「心」にある。

人生、時には大博打を賭けなければ栄光は手に入らないように、人生はハッタリである。ばれたら大笑いすれば良いだけだ。

在日たちの本心は、戻りたくない過去にある訳ではなく、まして日本人に成りたい訳でもない。祖国解放にある。

その為の方法が日本にあるのだが、それに気付かない現在の在日たちである。

 2015_08_25


日本が世界に発信する原爆反対の主張と平和活動の社会的正義とは、世界平和を訴える国として日本が世界でNO1であると断言できる。
なぜなら、言うまでもないが、経験した者にしか解らないことが存在するからだ。世界の人々は日本人の話に耳を傾けるべきである。不安と恐怖を利用する世界平和のやり方には「もう、うんざり」だ。

偉大なアメリカは本当に原爆を使う代わりに何も出来なかったのだろうか?
本当に原爆投下が最悪の選択の中で最善だったのだろうか?
核兵器は善くないとしても、戦争を終わらせる為の核の使用は、原爆のおかげで降伏が早まり、両国とも多大の犠牲者が出ることを回避できたのだから善いとするにせよ、ぜひ一度、原爆正当論者にお聞きしたいことがある。一体何人の犠牲者なら善いのか?1,000人か?10万人か?それとも100万人か?
手っ取り早い解決策があって良かった。どうやら世界の平和は核兵器の数に比例するそうだ。
実際、日本人の多くはきのこ雲の下で孤児になっても米国人を恨まず前向きに生きた物語がある。いつからアメリカ人は罪の意識から向かい合わずに、良心の声に耳を傾けなくなったのだろうか。

日本人は決して原爆の悲劇を忘れた国民ではなく、まして臆病者になり下がった訳でもない。
それは、日本人が恨みや報復を誓ったのではなく、大いなる悲しみを知った国民なのである。
原爆の悲劇を二度と世界に繰り返さない為にも、語り継ぐのが日本人の宿命であり世界に対しての責務である。

最初の広島への原爆の投下は月曜の朝8時過ぎである。原爆の威力が計り知れないために非公開で行われた。
死者の数は15万人以上。自然に恵まれた美しい町は一瞬にして跡形もなく消滅し、影だけが残った。
その場で死んだ人はまだ良い方である。運悪く、その後一週間以内に被爆して死んでいった者たちは悲惨だった。
運悪だと!冗談じゃない!その三日後の午前11時、長崎に原爆が投下された。二発目だ。

エノラ・ゲイを英雄視する理由が私にはダークサイドに見えるが、そうしなければ、良心の呵責に耐えきれないと言うのならば、涙を忍ばせて受け入れたとしても、一度に多くの命を奪う者が英雄とする文化だと言うのなら、意味も解らずに奪われた命から見れば魂を腐らした悪魔の所業であり、どんな正当性があろうとも許しがたい事実であることは未来の子供達がいずれ証明するのは時間の問題だろう。その時、子供たちはアメリカ人を許してくれるだろうか?

仮に原爆が科学の実験だとしても、たしかに科学の進歩は人類に大きく貢献するとしても、一体何人の命を奪えばそう言えるのだろうか?
殺人者は裁かれるが、15万人を殺せば国家プロジェクトと承認されて許される理由がどこにあるのだろうか?
人の命よりも科学が大切なら、世紀の大科学者たちはいったい何をしていたのだろうか。
それが許されるなら、原爆による大量虐殺こそが世界平和だと断言すれば良いのだ。犠牲になったのは極東の小さな島国に暮らすほんの僅かな国民だからだ。
そうでなければ、今後の未来の人類にどう、詫びれば良いのか教えて欲しい。笑って済ませられない事実だからだ。

それはそうとして、因果律に従えば、原爆を落とす者には、原爆がいずれ落とされるように、巡り巡って自らに帰って来る波動方程式のように、日本が原爆を所有しなくても、この法則は覆る事はないだろう。
だとすれば、このカルマを取り除くしか米国には道はないし、「次」はない。
アメリカは日本を助ける事が、同朋を助ける事ではないのか。

覚えておいて欲しい。理由はどうあれ、男性が起こした戦争で、女性や子供たちを殺して天国へ行くことが出来ると本気で信じているなら、もっとやればいい。イエスが罪深い人間をお許しになるなら、もっとやれ。
この世が地獄だから、核兵器が必要などと、「ふざけるな」

「ジーザスよ。どうか世界に平和をもたらしてください。」
「ジーザスよ。どうか核なき世界の実現に力をお貸しください。」
口先だけの平和主義者たちの言い分には、もう、聞き飽きた。



 2015_07_26



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プロフィール

酒好き文化風俗研究者

Author:酒好き文化風俗研究者
酒好き研究者とは、お酒の飲んだ時に生じるインスピレーションを本に書き写したものをまとめた裸の言葉です。ちょうど20年の時を掛けて出来たのが私の著書の酔書です。書く事は楽しい。一流とは楽しい気分なしでは何もしないそうです。人生の思いは手で書くように、こだわりにはパワーがある。感傷的になりそうでならないのが、最高の芸術だと言うからだ。実際、理屈よりも楽しくなければ何事も長続きしない。神は紙の上で語りかけてくるものである。百年後のメッセージを書き残すつもりで大いなる目的に尽くした。必要より方法が世界を創って来た事実だからだ。セネカは言います。言葉は意味する重みよりも、言葉の持つ音の響きの方が大きいと。真理を語る時は単純で整っていなくても良いらしい。酒好き研究者はもっと大いに語らなければ過去と未来を繋げる役目を果たせない。確固たる確信は伝染する。国家を論じ、拝金主義者を軽蔑し、友愛を語らなければ使命は果たせないのである。民族の継承を語り、民族の誇りを語るのである。自らの宿命は書き残さなければ誰も解らないものである。なぜなら、酒好きには綺麗事に隠された裏の欲求があるからだ。現実という厳しさとの共感と秘密があるからだ。分析なんてものは、仮説を説明する為にあるのだから、それよりも大切なのは、答えは一つではないことである。何を行うか、よりもなぜ行うかである。書くとは、そもそも説明できないことを発見するところにある。成果は論議から成るものだからだ。そしてブログの目的とは言葉を通じて酒好き達の縁を結ぶことでもある。人は優れた一行、優れた一言を待ち望んでいる。人は良い言葉に飢えている。世界で最も重要なのは良い文章である。酒好きが語らなければ何も変わらないのである。メッセージは出せば成る。酒好き達には酒を飲まなければ、夜も眠れない心配事や不安が存在するのです。人は何の為に生きているのか時々解らなくなるものです。苦しい人生を耐えやすく変えられるのならばそれだけで良いのです。本当に困った時に読むブログでありたい。人間の知の全体を一望し得るほど悟りは開かれていないが、人生を生き抜く為の綺麗事ではない知恵を仲間と一緒になって考え、あなた自身の目標に貢献できるような、社会に全世界に対してこの問題を提起したいのです。定理や公式よりも、定義を重視して。酒好き達がこの世の不条理に負けて思考を停止しては悪魔の思う壺である。この世に正義などない。あるのは勇気だ。ブログの未来は未だ謎だらけである。世間の常識を用いなければ最高の真実は説き得ないように、知識や手段なしには対象の理解はない。対象の理解が無ければ活動は有効ではない。囚われていた主題から解放されるには、その人物が面白くなければ行き詰まるように、大きな目標は細部にこそ思想がある。孔子は言います。下学して上達すると。目標は世の中を変える研究をやることである。全てを疑い、問い続けるという冒険だ。タルムードとは激しく問い続ける意味である。人類はストーリーを共有するという天賦の才能が備わっているのだから、新しいストーリーをブログから発信する事が世界には必要だと考えるのです。最後にダ・ビンチはこう言い残しています。「書け!書くのだ!歴代の偉人達は何をしたと思う?そう、書き残したのだ」と。

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