それぞれの国にある文化には遊びの要素が備わっている。
そして何よりも重要なのは、遊び心に彩られたものであり、また非合理的なものでもあって、その文化の担い手が理論にともなったネオテニー性なのです。
ニーチェはこう言っています。
「本来の人間性には遊びたがる子供が隠されている」と。
子供心とは心を取り戻す生活習慣であり、忙しすぎて心を亡くした大人達の故郷です。
楽しむことは真の感応力の現れで、逆に疲労は人を臆病者に変えてしまうものですから、人生の幸福は楽しみ尽くす以外に方法はありませんし、毎日を楽しまなければ罪人となります。
人類にとって最大の危険は、全ての動物には種を保存する為の攻撃本能が備わっており、それを適度に制御する機能が人間にだけ上手く機能していないと言われているように、その性を変える一番の方法が滅茶苦茶遊ぶ事であり、文化なのです。
世界の歴史や文明は量によって引き継がれるが、文化は質によって伝統を感じるものです。
どちらかと言えば日本では、文化や芸術はのんびりしたもので、国からの補助金で発展した感じもしますが、それでも文化は文化ですから、酒好き文化にも補助金は無理かな。
文化とは立派なネオテニーの使い手なのです。