日露戦争はあるのに、清露戦争や満露戦争や韓露戦争は無い。
ロシアに占領されていたとして、なぜ一緒に戦わないのだろうか。
まして偉大な中国はなぜ白人側に味方したのだろか。
この戦いは白人が有色人種を植民地にしようとした戦争なのに。
日露戦争は有色人種が白人に勝った最初の戦いだが、後に続く隣国がいなければ当然勝った日本の領土になりますが、朝鮮半島を独立させようとする伊藤博文は暗殺され、満州を清のラストエンペラーに返せば中国が白人と手を組んで日本を攻撃するなど、これは侵略戦争ではなくて、滅茶苦茶戦争だ。
暗黒の植民地時代は有色人種側の意見だが、白人からすればこんな素晴らしい世界はない。
第一次世界大戦以前の戦争は外交戦略の一つで貴族達のイベントだが、この戦争から総力戦となり悪名を残すイベントとなってしまった。
ナポレオンの優雅な騎馬隊から、日本の神風特攻隊に至るまでの道筋は、一種の慣性の法則ではなかろうか。
現在日本が先進国と呼ばれるゆえんは、かつて日本が一等国であって、他国の植民地解放に貢献した事実を考えると、一体、日本の何が悪いと言うのだろうか。
それに比べれば、インドネシアやシンガポールは偉い。その後独立した国々は偉い。
むしろ、気になるのはサイパンやグァムがアメリカ領である事の方が不思議に思いますが、この話はまたの機会に。
中国四千年の歴史ではなく、東アジア四千年の歴史を創ろう。
日本にそれが無いのが不思議なくらいです。
絞り込んだ歴史認識は作家たちに任せておくとして、有色人種の生い立ちから始まる苦しみと悲しみの事実こそが今求められている正しい歴史観であり、それは中国人に任せて置くのではなく、日本人こそが相応しいと考えます。先進国の責任であり使命なのです。
実際、犯罪者や争い好きな人達ほど、無知な感情が原因だったりしますから、東アジアの友好関係は正しい歴史認識から成るものでり、それを望んでいるのです。
グチャグチャな歴史認識では結果が見えているように、面白味に欠け、成果が共ならずに、世界から見ても東アジアは幼稚と思われるだけで不本意ですから、統一した世界観が今後の侵略の防止に役立つのではないだろうか。
ヘーゲルはこう言っています。
「人間の歴史的全体的構造こそが根本的構造であり、歴史と人生はやり直しの連続である」と。
我々人類は人間関係の修復を求めているのです。
東アジアという歴史的段階の自然的必要性は、各国の国民感情との共存共生にあり、その存在価値は私達の理解を遥かに超えたもののように思えるからなのです。