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かつて日本がロシアと戦った時に隣国は何をしていたのだろうか。

ロシアに占領されていたとして、なぜ一緒に戦わないのだろうか。

まして偉大な中国はなぜ白人側に味方したのだろか。

この戦いは白人が有色人種を植民地にしようとした戦争なのに。

日露戦争は有色人種が白人に勝った最初の戦いだが、後に続く隣国がいなければ当然勝った日本の領土になりますが、朝鮮半島を独立させようとする伊藤博文は暗殺され、満州を清のラストエンペラーに返せば中国が白人と手を組んで日本を攻撃するなど、これは侵略戦争ではなくて、滅茶苦茶戦争だ。

暗黒の植民地時代は有色人種側の意見だが、白人からすればこんな素晴らしい世界はない。

第一次世界大戦以前の戦争は外交戦略の一つで貴族達のイベントだが、この戦争から総力戦となり悪名を残すイベントとなってしまった。
ナポレオンの優雅な騎馬隊から、日本の神風特攻隊に至るまでの道筋は、一種の慣性の法則ではなかろうか。

現在日本が先進国と呼ばれるゆえんは、かつて日本が一等国であって、他国の植民地解放に貢献した事実を考えると、一体、日本の何が悪いと言うのだろうか。

それに比べれば、インドネシアやシンガポールは偉い。その後独立した国々は偉い。

むしろ、気になるのはサイパンやグァムがアメリカ領である事の方が不思議に思いますが、この話はまたの機会に。















 2014_11_08


正しい歴史認識として小さな歴史にこだわっていては小さな世界観しか生まれないように、大きな歴史観が必要な時期です。
日本にそれが無いのが不思議なくらいです。

絞り込んだ歴史認識は作家たちに任せておくとして、有色人種の生い立ちから始まる苦しみと悲しみの事実こそが今求められている正しい歴史観であり、それは中国人に任せて置くのではなく、日本人こそが相応しいと考えます。先進国の責任であり使命なのです。

実際、犯罪者や争い好きな人達ほど、無知な感情が原因だったりしますから、東アジアの友好関係は正しい歴史認識から成るものでり、それを望んでいるのです。

グチャグチャな歴史認識では結果が見えているように、面白味に欠け、成果が共ならずに、世界から見ても東アジアは幼稚と思われるだけで不本意ですから、統一した世界観が今後の侵略の防止に役立つのではないだろうか。

ヘーゲルはこう言っています。
「人間の歴史的全体的構造こそが根本的構造であり、歴史と人生はやり直しの連続である」と。

我々人類は人間関係の修復を求めているのです。

東アジアという歴史的段階の自然的必要性は、各国の国民感情との共存共生にあり、その存在価値は私達の理解を遥かに超えたもののように思えるからなのです。










 2014_11_08


日本こそ共和党が相応しいのです。
なぜなら、
「和を以て貴しとなす」。聖徳太子の時代から日本は共和党なのです。

なぜ、今まで共和党がなかったのか。
それは次の世代の若者の為に取って置いてくれた先代達の思いやりですね。

一大政党が100年以上も実権を握るのはアメリカの言いなりだからですが、時代の変化に対応出来ない政治では、国家の存続自体が危なくなりうるし、新しい政治によって再び国は活気付くものです。

キケロはこう言います。
「常に変化するものは不滅である」と。

政治にはコントロールが不完全であることに重要な民主主義の価値があり、その政治にも万物と同じく終わりがある。
政治は不完全な人間が創ったものであり、ゆえに成長するものであるから、その政治が新しく創り変わったとしても何ら不思議ではない。
むしろ逆に、時代や法則性は常に変化を追求して行くものであるから、100年以上も同じ政治などあり得ないし、それは社会を混乱に招くことになります。

グローバル化が進む現代社会には、民意による同意した正しい共和党との共存共栄論なのです。




 2014_11_07


悪を救おうとすることは立派だが、善意を伸ばすことがより重要だ。

安全で安心な社会を求めるのは人間の本質であり、大切な権利です。
それを脅かす犯罪者は反社会的であり、非人間的、つまり動物だ。
大人に成り損なったアダルトチルドレンです。

最悪なのは、共同社会において、自己中心的で反社会的な動機が最悪の敵となります。

この敵に対して人権は規制されるものです。自由な人権は与えられません。反省だけでは説得力に欠けます。

現在の刑罰にはシンボルがない。
ハッキリしなければならない所がハッキリしない。
まるで裁き手が裁かれているみたいな刑罰では、犯罪者を止められずに、増やしているようにも見て取れます。

私が考えるそのシンボル的刑罰とは、一度捕まれば五年制度です。
犯罪者の多くは無知か暇人ですから、教育し直すチャンスだと考えます。
実際、人は五年で新しい自分に変わる事が出来るから、逆に五年掛けなければ何度刑罰を与えようが意味が無く犯罪の連鎖を引き起こしてしまいます。
私達の意識変革や犯罪者の再犯防止には最低五年は掛かるものなのです。

刑罰は同等性と根本からの法則との無限的なものによる変化の対応にあるから、刑罰は本能的なものと、感情的なものと、理性的なものとに分けて、別々に罪と罰を与えるべきだと考えます。

重要なのは、刑罰によって犯罪者が改善されたためしはないから、再教育には最低五年は掛かるものなのです。




 2014_11_06


人間性には段階があるように、「20:60:20」に分類すると、「60」にあたる人は目に見えないものを信じない現実主義者の人達となります。

逆に、少数派の「20」にあたる人達は二つに分けられます。
レベルの高い人と無知な人とです。
前者はこの世に生かされていることを気付いていますから目に見えないものにも感謝し貢献し献身いたしますが、
後者は苦痛からの逃避による神頼みです。
前者は目に見えないものを愛情で統合することによて積極的に幸福を増進させますが、
後者は目に見えないものの助けを求めて不幸を無くそうとする消極的なやり方です。
一方はみんなで仲良くしようとしますが、
他方は差別的に孤立します。
どちらも目に見えないものを信じる者達にとっては満足を得ていますから、幸福には違いありませんが、
前者は強者であり、
後者は弱者となります。

また、目に見えないものを信じない者達にも、目に見えるものを信じる者達と同様、過酷な現実が待ち構えるように、
どちらが優れているのではなく、それは人間性のレベルであり、段階なのです。





 2014_11_05


正しい情報が与えられた上での本人や家族、複数の同意を集められれば、尊厳死や安楽死は余命を早める治療に当たると考えます。

世界では一部の国や地域で尊厳死を認めるように、日本でも一部でテストすれば良いと思います。

本来人間は死から逃げてはいけないもので、また、苦しみからも逃げてはいけないものですから、本人が決めるにしても、医師が決めるにしても、裁判官が決めるにしても、その同意によって決められるものであって個人で勝手に決めれば責任問題になってしまいますから、人任せには出来ない大切な人権問題です。

仮に、動物なら良いのでしょうか?
やはり動物も個人の判断だけで安楽死させては何か醜いものを隠しているように見て取れますから、複数の同意が必要だと考えます。間違いを無くすためにも。

問題もあります。

自己決定権が人権なら生存権の方が優先されるのではないだろうか。

命の価値判断を誰に委ねるのか。例えば、著名人は死なせる訳にはいかないとか。

尊厳死を悪用する者が現れないだろうか。ホロコーストのように。

家族の苦痛や、治療費のコスト、社会悪などで判断されるものでもなく、社会が死について考える良い機会なのではないだろうか。
















 2014_11_04


NHKにしろ、年金にしろ、独占企業にしろ、会社が隠して時が暴露していると考えると、時はNHKに味方していないことになります。
また、NHKは国民の為だと言う決意が感じられず、何だかスッキリしていない。

日本の闇を暴いてくれるなら、喜んで受信料を払いますが、現状ではネットの方が社会の悪と戦い一歩リードしていると感じます。

民放と違い視聴率を気にせず、お金を得られるのだから民放が出来ないことを発見すべきです。

放送の倫理にしても、二つの意見が聞きたいにも関わらず、どこか一方通行のようで、自由な放送に制限があり、公開の自信の無さが国民の自信に無さに繋がっている。

クレームの多さは国民の期待の大きさだとして、世論の操作では北朝鮮と同じで、受信料は税金と化します。

私達はマスコミの取材に対する努力に接すると感動するものだから、嘘では裏切られた気分になり悲しくなります。

確かに、悲惨なニュースほど視聴者が好む傾向があるのも解りますし、他人の不幸とは何度見ても飽きないものですが、事件がなければ作れば良いとか、情報操作による国民操作では、いつ元に戻していいのか解らなくなりますし、良い操作なら良い訳でもなく、一体私達は何を望んでいるのでしょうか。




 2014_11_03


生まれた時から病弱だった私は、小学一年生の頃から空手を始めて座禅から瞑想までかなりの時間を費やしてきました。

瞑想のコツは思考を停止することですが、目を開けていても仕事中でもそれは容易に出来るものです。

マイケル・ジョーダンはこう言っています。
「記録に残る名プレーはどれも瞑想をしてるようだった」と。

ランナーズハイにもちょっと似ているところがあります。走っていて体が軽くなる、あの感じです。

実際、私が本の原稿を書いている時、とても不思議な体験をしました。ライターズハイかな?

書いてる時は楽しく19時間連続しても疲れず、自分では止められない状態で、まるで何者かに操られているような、自分で書いている気がしないのです。段々と目が閉じて行き、何も考えていないのに手が勝手に動くような感覚になるのです。

そしてその出来上がった原稿を読んでみて更にビックリ、自分では書いた記憶が無いことが書かれているのです。
不思議な体験です。とても快楽でした。

この体験はお酒を少し飲んだ時にも感じられ、また、クタクタに疲れた時にも感じるものです。
なので特別な能力ではなさそうです。

一度経験すると夢にまで出てきます。快楽として。



 2014_11_02


貿易立国の日本には自由な貿易が必要な様に、日本でドルが使えればTPPも悪くはありません。

恐らくTPPは、50歳以上が反対し、30歳以下が賛成、40代が傍観、そんなところでしょうか。

食料自給率の問題は人口が減少していく過程で解消されますが、やはりその土地で出来た物を食べるのが一番です。

また、自由貿易は戦争の抑止力にもなり、憲法9条を支持して自由貿易は制限するのでは、勝手が生じ、豊かさの実現が原動力なら、現状維持では問題が暴露するだけです。

かつて、トヨタ自動車がアメリカとの自由貿易を反対してましたが、今では、トヨタが世界一で、アメリカの自動車業界は低迷しているように、働き者の日本人にとってはTPPで国益が奪われるとは考えにくく、逆に日本の繁栄に役立つのではないだろうか。

問題もあります。
TPPのルールがコロコロ変わる事です。これでは信用を無くし、利害関係に発展する可能性が強まり、複雑な取り決めでは金儲けでしかありません。

TPPに反対するのは、働き者ですか?それとも怠け者ですか?
TPPに反対するのは、お金持ちですか?それとも貧しい人たちですか?








 2014_11_01



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プロフィール

酒好き文化風俗研究者

Author:酒好き文化風俗研究者
酒好き研究者とは、お酒の飲んだ時に生じるインスピレーションを本に書き写したものをまとめた裸の言葉です。ちょうど20年の時を掛けて出来たのが私の著書の酔書です。書く事は楽しい。一流とは楽しい気分なしでは何もしないそうです。人生の思いは手で書くように、こだわりにはパワーがある。感傷的になりそうでならないのが、最高の芸術だと言うからだ。実際、理屈よりも楽しくなければ何事も長続きしない。神は紙の上で語りかけてくるものである。百年後のメッセージを書き残すつもりで大いなる目的に尽くした。必要より方法が世界を創って来た事実だからだ。セネカは言います。言葉は意味する重みよりも、言葉の持つ音の響きの方が大きいと。真理を語る時は単純で整っていなくても良いらしい。酒好き研究者はもっと大いに語らなければ過去と未来を繋げる役目を果たせない。確固たる確信は伝染する。国家を論じ、拝金主義者を軽蔑し、友愛を語らなければ使命は果たせないのである。民族の継承を語り、民族の誇りを語るのである。自らの宿命は書き残さなければ誰も解らないものである。なぜなら、酒好きには綺麗事に隠された裏の欲求があるからだ。現実という厳しさとの共感と秘密があるからだ。分析なんてものは、仮説を説明する為にあるのだから、それよりも大切なのは、答えは一つではないことである。何を行うか、よりもなぜ行うかである。書くとは、そもそも説明できないことを発見するところにある。成果は論議から成るものだからだ。そしてブログの目的とは言葉を通じて酒好き達の縁を結ぶことでもある。人は優れた一行、優れた一言を待ち望んでいる。人は良い言葉に飢えている。世界で最も重要なのは良い文章である。酒好きが語らなければ何も変わらないのである。メッセージは出せば成る。酒好き達には酒を飲まなければ、夜も眠れない心配事や不安が存在するのです。人は何の為に生きているのか時々解らなくなるものです。苦しい人生を耐えやすく変えられるのならばそれだけで良いのです。本当に困った時に読むブログでありたい。人間の知の全体を一望し得るほど悟りは開かれていないが、人生を生き抜く為の綺麗事ではない知恵を仲間と一緒になって考え、あなた自身の目標に貢献できるような、社会に全世界に対してこの問題を提起したいのです。定理や公式よりも、定義を重視して。酒好き達がこの世の不条理に負けて思考を停止しては悪魔の思う壺である。この世に正義などない。あるのは勇気だ。ブログの未来は未だ謎だらけである。世間の常識を用いなければ最高の真実は説き得ないように、知識や手段なしには対象の理解はない。対象の理解が無ければ活動は有効ではない。囚われていた主題から解放されるには、その人物が面白くなければ行き詰まるように、大きな目標は細部にこそ思想がある。孔子は言います。下学して上達すると。目標は世の中を変える研究をやることである。全てを疑い、問い続けるという冒険だ。タルムードとは激しく問い続ける意味である。人類はストーリーを共有するという天賦の才能が備わっているのだから、新しいストーリーをブログから発信する事が世界には必要だと考えるのです。最後にダ・ビンチはこう言い残しています。「書け!書くのだ!歴代の偉人達は何をしたと思う?そう、書き残したのだ」と。

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