民主主義では国民が主人ですから。
民主主義国家においては国民こそが主人であります。
つまり、政治家は酒好き達の言葉に耳を傾けなければならないのです。
酒好きは過去の歴史から見ても国家の敵にはなりません。
むしろ共存して、依存し、貢献していると言えるのです。
なぜなら、
酒好き達が過去に国家を一度でも転覆させた事実は記載されていないからです。
現在の国政の状況はマスコミを見れば判るように、エゴと利権に命まで奪われるのであれば、国民世論が政治の担い手になるのが正しく、国家共同体の強さは合議体であり、国民共同体の連合政治による国民主体にあります。大衆にこそ国家なのです。
民主法では結局、全て自己責任で片付けられてしまうのだから、選択するのは当然国民であります。
生活手段として無理のない社会制度は、国民による善意との相互関係にあると言えます。
国民自身がその使命にはっきりした形で参与しうるような状態がベストです。
その為には国家がいつまでも受け身であっては、国家の僕である酒好き達の潜在能力は発揮されないのです。
つづく・・・。