快楽は合理的だと言えます。
なぜなら、
人間に備わっている快楽と苦痛は、生きる上において切り離せない、目的であり、手段であり、価値であり、方法だからなのです。
これほどに明確な理由も珍しいものです。神の意図を感じます。
人間の持つ欲望を正当化するよりも、人間に備わる快楽を正当化すべきだと考えます。
一般的には快楽主義者は苦痛からの解放者だと思われていますが、実際には、快楽と苦痛は表裏一体であり、別々には考えられないものなのです。
苦痛と快楽は同時に終わるものなのです。
プラトンはこう言っています。
「快楽は苦痛にある」と。
快楽には、まず先に苦痛を与えなければ快楽には至らないものなのです。
つづく。