自己犠牲を避けることは、自己犠牲へと導く。
自己犠牲は避けられないこの世の法則ならば、
一度、残酷なまでに正直になってみようと思います。
決して、現実を否定せず、現実から目を逸らさずに。
痛みは神からのメッセージであり、痛みに立ち向かうことで人格は形成されるものと考えて。
玄語にはこう書かれています。
「何かを得るには何かを差し出すのがこの世の道理であるから、捨てなければ新しいものが入ってこない」と。
シェイクスピアにはこう書かれています。
「苦悩の深手が眠れる快楽をよみがえらせる」と。
自己犠牲は罪人であると言う人もいます。たしかに人間は罪人であるに違いありませんが、ほんの些細な自己犠牲は人格の形成に役立ち、大きな罪を背負うことのない為の方法でもあるのです。
自己犠牲は感情的に生きている人たちには受け入れがたいものですが、本能と理性では案外、受けいれられるものです。
どちらにしても、自己犠牲を避けることは、自己犠牲へと導かれます。
それは避けては通れないものなのです。
命と命には本気で応えなければ、見えない世界があるように、苦しみから逃れることしか考えられないと、苦しいだけで人生が終わってしまうものなのです。