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プラトンはこう言っています。
「快楽は苦痛にある」と。

快楽にはまず先に苦痛を与えなければ快楽には至らないのです。

一般的に快楽主義者は、苦痛からの解放者だと思われておりますが、
実際には、快楽と苦痛は表裏一体であって、別々には考えられないものなのです。

つまり、苦痛と快楽は同時に終わることになります。

エピクロス派はこう言います。
「快楽は人間の権利である」と。

私達の目的は幸福にあります。
大きな苦痛を最小にし、小さな快楽を最大にすることです。

そうです。快楽は合理的と言えます。
なぜなら、
人間に備わっている属性であり、生きる上において切り離せない、
目的であり、手段であり、価値であり、方法だからなのです。

これほどまでに明確な理由も他には見られない珍しいものです。
それはまるで、何らかの神の意図を感じさせるものなのです。

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 2014_10_14


歴史を振り返れば、かつて代理戦争が日本の高度成長に貢献したのは事実で、
歴史が再び繰り返されるのであれば、南北戦争は日本を救う事に繋がります。

救われるのは日本だけではなく、中国、アメリカ、ロシアも何かしらの恩恵は受けるのではないでしょうか。

私がこう言っているのは、北朝鮮と韓国の南北戦争を止めようとしているのですよ。

だってそうでしょ。血が流れたら、チャンスだなんて良心が痛みますから。

また、日本は憲法9条で本当に守られているのでしょうか?
北朝鮮は核を持っていますから、日本も常に最悪の想定をして最善を行わなければならなくなります。

アメリカが関与すれば、基地のある日本にもミサイルが飛んでくる可能性も否定できません。
自衛隊も自衛の為とは言え、攻撃を余儀なく要求されるかもしれませんし。

アジアが混乱すれば、その時流に乗り、独立を志す地域が行動を起こす事にもなりかねません。

その時一体誰が一番得をするのでしょうか?
誰も得をしないのら、本能の成せる業なのでしょうか?

英雄や、勇者や、救世主は現れるのでしょうか・・・。






 2014_10_14


プラトンの言う通り、快楽にはまず先に苦痛を与えなければ幸福には至らないのです。

グランベールはこう言います
「苦痛が最も強力な感情であり、次が快楽である」と。

苦痛を避けることは、より不快を引き起こす原因となります。
その不快に慣れ親しんで人間性を低下させているのがアルコール依存症の人達なのです。

罪悪感が苦痛と思わなくなるのは、危険な洗脳であって、そうならない為にも、快楽主義者の意見に耳を傾けるのです。
なぜなら、
快楽を最大にするには、苦痛から逃れることではなく、苦痛をもいとわない精神性にあり、そして行動することだからです。
それは技術と同じ習得方法で得られるものだから、
幸福に生きる願いは遠くにあるものではなくて、すでに備わっているものであり、
つまり苦痛とは快楽からのメッセージであると言えるのです。

欲望とは意識的な衝動ですが、快楽は無意識の衝動なのです。どちらが上級なのでしょうか?

欲望をなだめることが出来るのは拝金主義者ではなく、快楽主義者なのです。

つづく。

 2014_10_14



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プロフィール

酒好き文化風俗研究者

Author:酒好き文化風俗研究者
酒好き研究者とは、お酒の飲んだ時に生じるインスピレーションを本に書き写したものをまとめた裸の言葉です。ちょうど20年の時を掛けて出来たのが私の著書の酔書です。書く事は楽しい。一流とは楽しい気分なしでは何もしないそうです。人生の思いは手で書くように、こだわりにはパワーがある。感傷的になりそうでならないのが、最高の芸術だと言うからだ。実際、理屈よりも楽しくなければ何事も長続きしない。神は紙の上で語りかけてくるものである。百年後のメッセージを書き残すつもりで大いなる目的に尽くした。必要より方法が世界を創って来た事実だからだ。セネカは言います。言葉は意味する重みよりも、言葉の持つ音の響きの方が大きいと。真理を語る時は単純で整っていなくても良いらしい。酒好き研究者はもっと大いに語らなければ過去と未来を繋げる役目を果たせない。確固たる確信は伝染する。国家を論じ、拝金主義者を軽蔑し、友愛を語らなければ使命は果たせないのである。民族の継承を語り、民族の誇りを語るのである。自らの宿命は書き残さなければ誰も解らないものである。なぜなら、酒好きには綺麗事に隠された裏の欲求があるからだ。現実という厳しさとの共感と秘密があるからだ。分析なんてものは、仮説を説明する為にあるのだから、それよりも大切なのは、答えは一つではないことである。何を行うか、よりもなぜ行うかである。書くとは、そもそも説明できないことを発見するところにある。成果は論議から成るものだからだ。そしてブログの目的とは言葉を通じて酒好き達の縁を結ぶことでもある。人は優れた一行、優れた一言を待ち望んでいる。人は良い言葉に飢えている。世界で最も重要なのは良い文章である。酒好きが語らなければ何も変わらないのである。メッセージは出せば成る。酒好き達には酒を飲まなければ、夜も眠れない心配事や不安が存在するのです。人は何の為に生きているのか時々解らなくなるものです。苦しい人生を耐えやすく変えられるのならばそれだけで良いのです。本当に困った時に読むブログでありたい。人間の知の全体を一望し得るほど悟りは開かれていないが、人生を生き抜く為の綺麗事ではない知恵を仲間と一緒になって考え、あなた自身の目標に貢献できるような、社会に全世界に対してこの問題を提起したいのです。定理や公式よりも、定義を重視して。酒好き達がこの世の不条理に負けて思考を停止しては悪魔の思う壺である。この世に正義などない。あるのは勇気だ。ブログの未来は未だ謎だらけである。世間の常識を用いなければ最高の真実は説き得ないように、知識や手段なしには対象の理解はない。対象の理解が無ければ活動は有効ではない。囚われていた主題から解放されるには、その人物が面白くなければ行き詰まるように、大きな目標は細部にこそ思想がある。孔子は言います。下学して上達すると。目標は世の中を変える研究をやることである。全てを疑い、問い続けるという冒険だ。タルムードとは激しく問い続ける意味である。人類はストーリーを共有するという天賦の才能が備わっているのだから、新しいストーリーをブログから発信する事が世界には必要だと考えるのです。最後にダ・ビンチはこう言い残しています。「書け!書くのだ!歴代の偉人達は何をしたと思う?そう、書き残したのだ」と。

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