自己犠牲な態度は善か?悪か?
人生は刺激的だ。それも他人の為に生きる時が一番刺激的だ。
トルストイはこう言っています。
「自分が相手に好意を持つのは、相手が何かをしてくれた時ではなく、自分が相手に何かをしてあげた時である」と。
ジョン.スチュアート.ミルはこう言います。
「方法として逆説的であるが、意識的に幸福なしで生きる努力をしてみる」と。
私達は生かされているのだから、そこからしか自己犠牲的な態度は正当であるということを理解出来にくいものです。
自己犠牲というと、苦痛を伴うもののように聞こえますが、そうではなく、ただ、心の中で自己を離れることなのです。
人生とはある意味においては、捨てる修行です。囚われているものから離れることなのです。
もちろん、生命の根源は自己保存にありますが、自己保存も3回繰り返せば、憎しみや怒りが込み上げてくるこの世界で、
強いものだけが生き残れば後は何をやっても許されてしまう欲望社会に対して、何らかの英知が必要だと考えます。
一個の偉大な芸術や歴史は、これまでにいかにしてすみやかに自らを社会に自己犠牲させるかに尽きます。
人間は地球の支配者として神に生きる権利を与えられたのだから、自己保存だけでは単細胞生物と何も違わず、
そんなことを自然界は望んでいないのです。